年越しに欠かせぬ出雲そばのルーツは

(公開: 2019年01月29日)
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山陰中央新報の2018年12月30日版に「@深層・真相 山陰の疑問に迫る」コーナーがあります。

「年越しに欠かせぬ出雲そばルーツは」と題して記載されていました。

記事にはいずれも史料なく根拠不明と記されていますが、興味をそそる内容でしたので一部抜粋して記載してみます。

 日本三大そばは岩手県のわんこそば、長野県の戸隠そば、島根県の出雲そばとあり、起源や食べ方なの歴史などの謎に迫ろうと、史料をひもといたとあります。

そばの歴史は縄文時代にさかのぼり、島根県内でも6600年前の遺跡からそばの花粉が見つかっている。現在のように、そば粉を練り、細く切って食べる「蕎麦切り」の食文化は1574年(天正2年)に長野県内で振る舞われたとの記述有り。

出雲地方では1666年(寛文6年)に出雲大社の神職が書いた「江戸参府之節日記」に蕎麦切りが登場

出雲大社の造営工事に関する協議中に振る舞われた。出雲そば最古の史料

1666年は松江松平藩初代藩主の松平直政が出雲地域を治めていた時代。

直正が1638年(寛永15年)に信州松本から出雲の国松江藩に入国した際にそば職人を連れてきたのが出雲そばの起源とする説もある。これを裏付ける史料は見つかっていない。

食べ方の歴史は

冷たいそばにつゆをかける「割子そば」と、温かいそばをゆで汁と器にいれる「釜揚げそば」は出雲地方独特の味わい方。

出雲観光協会によると、割子そばは現在の松江市が発祥で、江戸時代に野外で食べるために重箱にそばを詰めたのが始りとし、釜揚げそばは出雲大社周辺の屋台が発祥と説明する。

言い伝えはあるが,根拠は分からないと説明。

史料が少ない中、様々な説が語られていることについて、郷土史研究家で松江歴史館の藤岡大拙館長(86)は「有名な人物や神社の名を借り、皆が好き好きに言ったのが広がったのだろう」と分析。結局、出雲そばのルーツの謎は解けなかった。

各地のそばの歴史を取材する長野市の食物研究家の中田中田敬三氏(86)によると、年越しそばの風習の由来も、細長い形状から「寿命を延ばす」、麺が切れやすいため、「苦労や災いを切る」など、これまた諸説有る。今年の年の瀬も出雲そばをすすりながら、そば談義に花を咲かせ、明るい一年を願いたい。

(山陰中央新報記事 引用)

と締めくくってありました。

2月には節分そば、節分そばを打ちながらそばの諸説について調べてみたいと思います。



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