国立公園制定時の一昔前の三瓶山
三瓶山は1964年の東京オリンピックの前年となる、1963年昭和38年4月10日に隠岐島、島根半島、蒜山地域を国立公園に編入し、大山隠岐国立公園と名称が変更になりました。
それまでは1936年に大山国立公園として鳥取の大山のみが国立公園でした。
三瓶山が国立公園に指定されたのは、自然のブナ林と牧歌的な大草原の女性的な景色が評価されたと聞いています。
親三瓶から子三瓶にかけて放牧が行われ、美しい草原の景観で覆われていた頃が懐かしいです。
昭和30年代前半の浮布の池と三瓶山
小中学校の遠足には三瓶山が定番でした。
放牧牛と一緒に親三瓶が撮影されています。親三瓶の頂上まで殆ど樹木が生えていないのがよくわかります。
現在の親三瓶には国が植えたカラ松などが生い茂り、昔の三瓶山の面影すら有りません。
三瓶山の近くに住む方は、親三瓶頂上まで草花を採りに行っていたとのことです。国立公園になってから規制等が厳しくなり樹木の伐採が出来なくなったこと、国が国有林の植樹ということでカラ松植えたことなどで何処にでもあるような山になっています。
2020年の2回目の東京オリンピックに向けて観光立国としての整備が国立公園にも計画されています。
是非とも昔の三瓶山に近付ける政策を期待します。
現在の三瓶山
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